スイカナ日々

病や障害と生きる

ずっと心にひっかかっていること

こんにちは。

いそです。

 

子どもの頃、大学病院の泌尿器科で時々入院生活を送っていました。

 

当然、周りは大人ばかり。

子どもはほぼわたしひとりだけという状況が多く、病棟のアイドルとしてチヤホヤされる日々でした(笑)。

 

ある時、目の不自由なおばあちゃんが入院してきて、同室になったのですが、子どものわたしを中心にみんなすぐに打ち解けて仲良くなり、困ったことがあると助け合ったりしながら、毎日ワイワイ過ごしていました。

 

あれはなんのきっかけでそうなったのか、記憶がもう定かではないのですが、盲目のおばあちゃんがお財布から千円札だったか一万円札だったかを出して、「お世話になったから受け取ってほしい。」とみんなに渡そうとしたことがありました。

おそらく売店で美味しいものでも買って食べてということだったように思います。

 

同室のおばちゃんたちが「気持ちだけでいいから。」といくら言っても、「どうしても受け取ってほしい。」とおばあちゃんは頑なで、しばらく押し問答が続いていました。

 

そのとき、ひとりのおばちゃんがお金を受け取り、盲目のおばあちゃんのお財布にそっとお札を直して「もろうたで!」と言ったんです。わたしたちに目配せしながら。

 

子供心に違和感とすこし怒りのようなものを感じたのを覚えています。

それはおかしい、それはやってはいけないことなんじゃ?心に浮かんでくる疑問。

 

おばあちゃんは目が見えないから、当然その状況がわからず、でもすこし戸惑った表情をしていました。

微妙な空気を感じ取ったのだと思います。

 

 

この出来事が大人になってもずっと忘れられません。

 

あのとき自分が感じた違和感と小さな怒りはなんだったのか、時々この出来事を思い出しては考えました。

そしてどうすることが正解だったのかも。

 

いまだに「正解」が見つかりません。

そして、おばあちゃんのお財布にこっそりお金をしまったおばちゃんの行動に、なぜ自分が腹を立てたのかを明確な言葉にすることもできないでいます。

 

目配せされたとき、共犯になってしまった自分。

おばあちゃんを裏切ってしまった自分。

子どもの自分には何も出来なかったという思いと、子どもだからこそあのとき何かできたんじゃないかという思い。

みんなはそれぞれどう行動すればよかったのかという問い。

 

あのときの小さな出来事がずっと心にひっかかって、今でも抜けない棘になっています。

 

 

それでは、今日はこのへんで。