スイカナ日々

病や障害と生きる

もっと肩の力を抜いて生きていけるように

こんにちは。

いそです。

 

今日は長い長い自分語りにお付き合いを。

 

わたしはおそらくわりと最近まで、なんら疑うこともなく、自分を物語の主人公キャラだと思い込んで生きていました。

今もまだちょっと思ってるかも(笑)。

 

子どもの頃は家族内のネタで「世界はわたしを中心にまわっている」とよく言っていたのですが、あれも半ば本気だったかもしれません。

 

外でのコミュニケーションがとても苦手で、幼馴染以外ほとんど誰とも深い人間関係を築けなかった小学生時代。

それほど目立つタイプではなかったけれど、引っ込み思案というわけでもなく、バレーボール部ではマネージャーとしてみんなから大事にしてもらい、家ではいつも家族のおしゃべりの中心でした。

そのためか、学校で多少いじめられても、人生に対してポジティブな感覚が消えることはなかったです。

 

中学時代は学級委員に文化祭実行委員、いろんな役員を率先してやり、とても活発でした。

文化祭では「ロミオとジュリエット」のロミオ役で舞台にも立ちました。*1

そして初のモテ期到来(笑)。

まさに主役的立ち位置で面白おかしく過ごした3年間でした。

 

高校時代は闘病生活で気持ちが腐りきっていたところを部活動に救われ、友達や先生にも恵まれて、無事に卒業することができました。*2

入院先の病院から青白い顔で特別に卒業式だけ出席したわたしはある意味で誰よりも主役感があり、悦に入っていた記憶があります(笑)。

 

大学では弓道部の主将を務め、副将の男の子と交際し*3、キラキラした充実の日々を送りました。

 

そして地方公務員の採用試験に合格したときが、まさに人生の絶頂期。*4

幸福な人生を確約されたかのような、そんな気分でした。

 

 

でも。

人生がそんなに順風満帆にいくわけはなくて。

(まあ、子どもの頃から病気したり、家庭でいろいろあったり、わりと波乱万丈な人生だったわけですが。)

 

新採研修も終わり、所属に配属されてみるとすぐに、あれ?あれれ?となりました。

当然ですが、組織の末端の末端の末端の、さらに末端の末端の…くらいにいる自分。

周りにはわたしより優秀な人しかいないというような状況。

驚きでいっぱいでした。

 

仕事をするのはすごく楽しかったけど、とてつもなく怖かったです。

先輩に仕事を教わっても、一度でちゃんと理解しきれなかったりミスをする自分が恥ずかしくて情けなくてたまらなかった。

 

これにより初めて挫折の意味を知った気がします。

 

わたしはそれまで、たとえ挫折してもそれを正面から受け止めたことがなかったんです。

 

子どもの頃は闘病生活でどんな体験をしても、「明るくがんばるわたしがすき」でやり過ごすことができました。

尿道カテーテルをつけて小学校に通っていたときには、男の子から「臭い!」といじめられたけど、「明るくがんばるわたし」を演じきることに一生懸命で、いつだって平気なフリをしていたし、家族にも弱音を吐くことはなかったです。

 

透析を始めたときは「わたしが生かされる意味とは?」と自問自答を繰り返し、河合隼雄先生に傾倒したり、生死に関わる本ばかり読み耽って*5、あたかも自分が「悲劇のヒロイン」であるかのような心持ちで毎日過ごしていました。

心が苦しくて、腹膜透析の器械にしがみついてひとりでポロポロ泣いたりもしたけど、実はそんな自分が好きだったし、どんなときでも頭の中では物語の主役になることができたんです。

それに救われていた。

 

 

よくよく考えてみると、挫折はたくさんしているはずなのに、まったく自分と向き合ってなかったんですよね。

 

初めてきちんと自覚して受け止めたのが仕事での挫折。

世の中というのは途方もなく広くて、自分なんてごくごくちっぽけな存在だと知ったとき。

 

そして、その後ほどなくして経験した大きな挫折は精神疾患になったこと。

当時の透析クリニックの院長先生から匙を投げられて、総合病院の精神科へ入院。

 

自分が精神を病んで入院?

まさか?

なんで。なんで。

なんでわたしが。

わたしは大学で臨床心理学を勉強した、「そちら側」の人間なのに。

 

そういった思いから7年。

自分と向き合う作業は今もずっと続いています。

 

そして気づけば、自分の中の「わたしは主役キャラ」「話題の中心じゃなくちゃいや」「みんなからいつも気にかけてもらいたい」という考えが薄れていました。

 

誰かにとってはわたしは単なる通行人Aだし、ときには群衆のどこかにいるひとりだったりもする。視界にも入ってないくらいの。

 

自分の人生ですら、いつでもわたしが物語のど真ん中にいる必要はない。

そう思えるようになりました。

 

精神病の透析患者、無職で独身のアラフォー。

それこそどこに主人公要素があるんだっていうのはもはや自虐ネタですが、だからというわけじゃなく、物語の中心人物であることへのこだわりがなくなったのは大きいです。

 

er-アラフォーになってようやく気づいたんだけど、私、たぶん向いてない。生きることに…… (eロマンス新書)

er-アラフォーになってようやく気づいたんだけど、私、たぶん向いてない。生きることに…… (eロマンス新書)

 

 

最近、この本(略して「アラ生き」)を読み始めたんですが、とても刺激を受けてます。

 

これを読んでいて、せわしなく心に浮かんだことをブログに残しておこうと思ってこの記事を書き始めました。

ダラダラと書いてしまい、全然まとまらなかったですけど。

 

最近ようやく少しだけ肩の力を抜いて生きていけるようになった気がしていて、「自分がいつでも主役でいたい」(すなわち人から常に気にされる存在でいたい)という考えを捨てることができたからというのは確かです。

 

役割はいろいろ変わります。

臨機応変。

とっても大事ですね。

 

どんなわたしでも生きていけるように。

 

 

 

 

 

このブログ記事の内容は本の内容とはほぼほぼ関係ありません。

アラ生きはユーモアいっぱいでとても楽しく、それでいて心に訴えかけてくるような素晴らしい本です。

まだ途中までしか読んでませんけどね(笑)。

 

 

 

それでは今日はこのへんで!

最後までお読みくださり、ありがとうございました。

 

 

「死の医学」への序章 (新潮文庫)

「死の医学」への序章 (新潮文庫)

 

すがるものがなかったとき、心の支えだった。脚注参照くださいませ。



 

 

 

*1:ジュリエットよりかなり低身長なロミオで、ピーターパンみたいだった。

*2:入院が長すぎて留年しかけたのを担任に助けてもらった。

*3:彼が亡くなるまでお付き合いしました。

*4:公務員になる前に所謂ブラック企業で約一年間働いて心身ともに疲れきっていただけに転職できるのが嬉しかった。

*5:柳田邦男の『「死の医学」への序章』は付箋を貼りまくってボロボロになるまで読んだ。